<< 新年というか節目であるか | main | 2月のベルリンから、その1。 >>
2016.01.18 Monday

こぼれおちたものもの2「からだが記憶する雪」


こぼれおちたものもの
「からだが記憶する雪」

 



 雪はほんとうにしんしんと降る。もちろん、しんしんという音は実際には聞こえないけれど、しんしんという文字がいかにも適している。雪はほんとうにしんしんと降る。しんしんと降る雪はべたっとしていなくて、静かに視界に舞う。雪解けには水となって足元を濡らすものの、しんしんと降る雪にひとびとは傘もささない。
 詩の朗読や講演会で国内をあちこち移動しているわたしの地図に日本ではない国が加わったのは、この四年ほど。詩人の先生に旅をすすめられて随筆の連載のためにハワイに二週間滞在し苦手な英語にも挑戦していたらすっかり楽しくなって、ますます移動することが日常になった。日本語しか喋れないと、おそるおそるガイドブックを手にバスを待っていた臆病者が今やパリにてフランス人の作家さんのお宅に、いわゆる「壊れた英語」で十日間ものうのうと滞在できるようになった。われながら図々しさにあきれる。
 世界地図はただの一枚の紙じゃなくって現実として存在することへの驚きといったら、ない。地球の裏側でひとびとは生活していて、まだ知らない風景は存在する。
 昨年は生まれ育った鹿児島よりも住んでいる埼玉のほうが気温の高いような夏だった。この冬はどうなのだろうか。幼い頃、かすかに雪が降ることがとてもうれしかった。小学校の授業中に雪がぽつぽつ降りはじめ、教室のなかは歓声であふれかえって先生は授業を中断して、クラスの皆で校庭へ飛びだして雪合戦をした記憶がある。いっせいに雪をかきあつめて丸く丸く、お団子のように丸めて、雪というより泥の球のようだったが、それでもかすかに雪が降ることがうれしかった。授業を中断してくれた小学校の先生の粋なはからいもうれしかった。
 おととしの三月末にスロベニアを訪れた。旧ユーゴスラビアである。小さな飛行機が軋みながら雪の舞う夜の空港に着陸した。スロベニアも最近は異常気象で三月末に雪が降り続けることはめずらしいと、ほとんど毎日通ったパン屋のおばちゃんに教えてもらった。わたしは生まれてはじめて、しんしんという音を聞いたような気がした。しんしんと降り続ける雪に閉じ込められて、まるで図書室で読みふけった童話の世界。まいったなあ、という気持ち。大人になっても知らないことはまだまだたくさんある。雪のなかの静けさと美しさ。
 今月末、はじめて北海道を訪れることになった。ワークショップと朗読のための旅だが、はじめての北海道の旅がもっとも寒い時期だなんてどうかしている。温暖な土地で育ち、北の冬は未知なのに、どうかしていると思いながら今から楽しみで、ゆきまつりも見たくて仕事が終わっても個人的に滞在することを決めた。おそらく、わたしは再び、まいったなあと感じるのだろう。知らないことが多すぎて途方に暮れそうになりながら地図をひろげて、できる限り出会いたいと願う。美しさ。
 
「空からの手紙」
頬を赤く染めた
こどもたちが
両手でうけとめる
すぐに消える結晶は
かたちあるものだろうか
かたちないものが宝物と
いつまでも覚えておいて
 
 今年、鹿児島でも雪は降るだろうか。頭ではなくからだが記憶する雪。しんしんではなく、ぽつぽつと降る雪をからだは記憶し続ける。泥の混じった雪合戦に歓声があふれかえる。


(初出:2015年1月1日『ろうけん鹿児島』)


 
Powered by
30days Album