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2012.12.25 Tuesday

鈴木先生への手紙


拝啓 鈴木先生




先日はありがとうございました。
そして、鈴木先生への手紙という形で
「詩を書くきっかけ」をブログに書くことを
ご了承いただけたこと、重ねてお礼申し上げます。


先日の大学での講演会、
なぜ詩人になったかを話したりないのです。

わたしはでたらめな人間でありますから、
10年以上続く、その問いに答えながら
その回答は徐々に違っていきます。
なぜなら説明できる明確なきっかけがなく、
詩人になろう、
詩が書きたい、
あの詩人みたいになりたい、
そんな明確なきっかけがないので毎回答えが違ってしまうのです。

かと言って、
気づいたら詩人になっていた、のように
薄ぼんやりした清潔な感覚でもありません。


「なぜ詩人になったのですか?」
幾度となく、その質問はおこなわれ
本が好きだったという気持ちは幼稚園児のときからあり、

今回の新潟の旅では、小野田さんと
たくさんたくさん話す時間がありました。
そのなかで話したこと、
あ、いまはこれが理由であろうかと思い出したことがあるのです。

詩のようなものは小学生から書いていました。
20歳で膠原病の全身性エリテマトーデスになりました。

入院生活がはじまり、ありあまる時間のなかで
詩を書いていて、詩らしきものだったのかもしれませんが
詩を書いていて、はじめのひと月ぐらいは
いま読んでも、だらだらと長い由来のないような
駄作ともとれる文ばかり書いていたのです。


しかし、ある日、冬でしたが、
病院のベッドからとびおきて、
確かにわたしに雷がおちたのです。

それは夢でしょうが、
雷が体を直撃して目が覚めました。
光が明滅する夢をみていたのか、夢ではなかったのか、
わかりません。
明滅するなかに笑顔と無表情が混じっていました。
誰の顔だったのかはわかりません。


その朝から、あきらかに
言葉との接点、 世界の見え方、記憶の方法が変化して
自分は自分であるのですが、
あきらかに一夜で「何か」が変化したのです。


起きてまっさきに詩を書きました。



雷鳴

優しい神様が絶望を予告なさる
一瞬にして能面は笑顔に変わる
飼い慣らされた動物達まで
遠くへ行ってしまった
温く湿った絵ハガキを
郵便配達夫がポストに投げた
錆ひとつない窓の上辺から
優しい神様が絶望を予告なさって
能面は一瞬にして笑顔に変わって
あくる朝
見事に咲きほこっていたダチュラが落ちた



これが、現代詩手帖という雑誌に載った、
はじめての作品となりました。


その雷が落ちた瞬間というものは
まったく比喩であるのですが、
そのような感覚があったということです。


と、このような理由はほとんど理由にならない気がするので
わたしはこれからも違う理由を答えるのかもしれません。

これははじめての答えですが、あの感覚は未だにひきずり
忘れっぽいわたしが覚えているので
それは確かかもしれません。



新潟はこれからが寒いのでしょうか。
鈴木先生はロシアにも行かれるので
寒さには慣れているのでしょうか。
マイナス10℃という世界は想像できておりません。

来月に、きっとお会いできるでしょう。





敬具
2012.12.25 三角みづ紀 
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