2024.01.11 Thursday

「記憶する枕」

 

 

 テレビをつけたまま寝てしまったら、疲れる夢をみた。わたしの悪夢はおおむね、時間が足りなかったり追いかけられたりする内容だ。さきほどのもそういった話で、目が覚めた瞬間、どこにいるのかわからなくなる。海外のニュース番組が流れていて、すぐに札幌市内のホテルだと理解した。

 読むべき本や書くべき原稿をかかえて自主的な缶詰をしている最中で、眠ってから3時間しか経っていないと落胆して、安堵した。健康にはよくないが、仕事は捗る。

 室内は乾燥していた。うがいをして、冷たい水を飲む。そして珈琲を淹れる。ただよう香りを嗅ぎながら思いだす。眠りに落ちるとき、枕の匂いが気になったんだった。洗いたてで糊のきいたカバーではなく、枕自体より他者の匂いがする。

 もちろんここはホテルなので、何百何千のひとびとが同じ枕で睡眠をとっている。あたりまえなのだけれど、不思議な心地になった。知らない誰かと一緒に横たわっているみたい。

 テレビを消して、光沢のあるベージュの色をしたカーテンを眺める。21階にある部屋は静まりかえり、珈琲の湯気がたちのぼる。あかるい非日常の空間が、わたしの思考を侵蝕する。真夜中だろうとカーテンをぴったり閉めて、あかりさえつけてしまえば、真昼のような場所。遠くで車が通過する音がした。

 この部屋で、何百何千のひとびとはどのように過ごしてきたのかな。観光で歩きまわり疲れて眠るひともいれば、わたしみたいに眠れないひともいるはずだ。仕事で訪れたひともいれば、夫婦や友人同士で滞在したひともいるはずだ。

 ふと、怖くなる。きちんと清掃されているものの、枕に何百何千のひとびとの夢が染みついているのかもしれない。わたしはそれらの夢をみることはできない。でも感情って、伝わるのではないだろうか。わたしの悪夢が深くはいりこんだ枕は、つぎにまどろむ誰かに伝えるのではないだろうか。

 寝具について、こんなに考えたことはなかった。沈黙した2102号室は、ゆっくりと朝へ向かう。何百何千のひとびとが熟睡しているところを想像する。同じ枕を使ったという事実だけでつながっている気がして、世界がぐっと近づいた。

 カーテンを開けてみる。点滅する赤。街灯の橙色は規則正しく並んでいる。青い光を持つ高層ビル。窓に自分の輪郭がうつりこみ、いまのわたしはひとりぼっちなのに、ひとりじゃない気持ちになった。

 地球で別々に暮らすひとたちが、ひとつの枕に頭部をあずけて朝をむかえた。うれしくもあるし、そらおそろしさもある。ひとりひとりの人生は膨大だ。おそらく、いっしょう出会わないひとたち。

 朝食の時間には遠く、また横たわる支度をしている。夢という状態が深層心理に起因するのみならず、他者の影響も受けていたとしたら、これからみる夢はどのような内容なのか想いをめぐらす。なるべくあたたかく、穏やかな風景でありますように。そう願うわたしを置き去りにするみたいに、あいかわらず部屋は沈黙している。

 

(初出:朝日新聞「晴れでも雨でもサニー」2021.10.12)

 

2022.02.07 Monday

「ほしびと」

 

まだ

名前を持っていない

惑星に触れては

いちまいに記していく

 

恒星に

あたらしい線をひき

じぶんだけの星座を

届けるために綴っていく

 

そうやって一篇をえがいていく

わたしの日々の労働ではあるが

きみに腹をたて、きみに歓喜し

きみという存在以上に、きみに意味を持つときがある。

 

とばりがおりたら

天体望遠鏡をならべて

ありふれたことばを探す

またたくひかりそのもののうつくしさを

 

また星が流れていった

瞼をひらいてとらえた

 

ほんとうのすがたを

てばなしてはいけないと

満天の地図からみちびいて

寡黙な きみは色のない

文字のかたちをしている

 

色のない

ことばは変わらずに

ひとびとに寄り添い

ただ 生きているのだ

 

(初出:「望星」2021年11月号)

2022.01.11 Tuesday

エッセイ「大人が失うもの」

 

 趣のある温泉宿に泊まるのが好きだ。もちろん豪華できれいなホテルも好きだが、和室のある旅館を選んで、その雰囲気を楽しむ。座卓で原稿を書き、疲れたら大浴場へ向かう。誰もいない真夜中をねらって。

 のぼせやすいので、あんまり長くお湯につかっていられないのだけれど、 古びた浴槽で存分に手足を伸ばす。自分しかいない内風呂には硫黄の匂いがたちこめていて、目に見えないものたちを想った。

 こういう場所には人間に化けた狐があらわれそうだ。人の形をせずとも、動物たちはこっそりお湯をもとめてやってくるのかも。彼らが去ったあとには、葉っぱが浮かんでいるだろう。

 小学生のころ、真夜中が怖かった。廊下の暗がりに何かが潜んでいる気がして、母を起こしてトイレに連れていってもらう日々。祖父母の古い家に泊まったときなんて、とりわけ緊張した。父と母と姉たちは、わたしを置き去りにして夢のなかへ行ってしまい、残されたわたしは全力で目をつむった。

 目に見えないものをあれほど恐れていたのに、いつのまにか夜は怖い時間ではなく、心地良い時間へと変化していた。深夜にひとりでトイレへ行けるし、静まりかえった部屋でぱきぱきとした音が響いても、気温や湿度による家鳴りだと知っているから気に留めない。

 大人になると知識が増える。知っているということは、目に見えないものへの恐怖を緩和させてくれる。でも、想像力が豊かなあのころに比べて、今のわたしはずいぶんと怠けているのではないか。知識に甘んじて、目に見えないものたちを排除しているのではないか。

 暗闇が怖かった幼いわたしは、現在のわたしよりもずっと詩人だったのかもしれない。純粋な幼稚さが羨ましくなり、 音をたてて乳白色に頭のてっぺんまで沈めた。

 

(初出:公明新聞「言葉の遠近法」2021.1.27)

2019.03.26 Tuesday

「静かに降りしきるなかで」

 

ものごころがついたのは

時間が理由ではなく

わたし個人の話です

 

冬休みに

天皇が亡くなったゆめをみて

なぐられたように目が覚めて

あわてて 父に伝えに行くと

テレビで天皇陛下崩御のニュースが

えんえんと 流れていた

わたしは七才で幼かった

 

いつも 今しか 生きていなくて

この ものごころの ほとんどは

へいせい、という時間のなかで

けいせい、されているけど

わたし個人の話にすぎない

 

海が 割れて

毎日たくさん死ぬ

 

知らないことは眩い

ひとびとのおおくは

破裂したときに

はじめて疑いはじめたのだろう

 

わたしに子供はいないが

つぎの時間の子供たちに

疑ってほしくはないし

安寧とさげすまれてもいいから

すきかってに歌っていてほしい

周囲を気にすることなく

なるべく瞼をひらいて

 

ひかりが降る

みんなが踊る

毎日たくさん死ぬ

 

ひたすらに詩を書いては

すきかって歌っていたし

悔いのないことではあるが

子供たちへ。

わたしは罪人でした

無知を恥じています

それ故に

夏の空とたがわない海も

おしつぶされそうなのだ

 

教室の隅で

ノートにこっそり綴った

変哲のない小さなてのひら

とおくから響く銃弾の音に

怯えながらも なお

こっそり綴っている

 

なるべく瞼をひらいて直視して、

めいめいに名前をそらんじて、

あたらしさを忘れないで、

 

つねに降りしきりながら

跨ぎながら産まれ続ける

 

(初出 2019.3.12 西日本新聞)

 

2017.04.10 Monday

「カラン」

 

糸を紡ぐあなたの 指に触れたちいさな朝

わらう わらう しわくちゃに わらいながら 音をたてる

 

町の灯り消えながら カタカタカタカタってしめくくる

おはよう つぎはあなたの 右の肩にひかりが降る

 

てをのばしておいでよ いのりみたいにさ

くちびるからこぼれて ことばになれ

 

めざめたとき産まれた 当たり前のおはなしです

これからここで起こることは ひとつひとつ夢のようです

 

 

糸を紡ぐあなたの 指に触れたちいさな朝

わらう わらう しわくちゃに わらいながら 音をたてる

 

てをのばしておいでよ はじめてみたいにさ

くちびるからこぼれて ことばがある

 

めざめたとき産まれた 当たり前のおはなしです

これからここで起こることは ひとつひとつ夢のようです

 

 

紡がれた糸の先に 連なっていく名前と

わらう わらう しわくちゃに わらいながらことばになる

 

めざめたとき産まれた 当たり前のおはなしです

これからここで起こることは ひとつひとつ夢のようです

 

 

(2011年9月発売 三角みづ紀ユニットセカンドアルバム『幻滅した』(Pelmage Records)収録作品)

 

 

 

2017.04.10 Monday

「綻びる」

 

見えない雨が降る日に

わたしだけの傘を持ち

散歩に出かける

 

長く住んでいても

まだ知らないことばかりの

町を去ろうとしながら

長く生きていても

まだ知らないことばかりで

命にしがみつきながら

新芽が立派な枝になり支えている

 

からだから あふれた愛が

立派な枝になり支えている

 

きみが きみを 愛するほか

なにが残されているだろうか

 

川沿いで

青を踏む子供らに

負けじと

青さを踏んでいる

脈拍が奏でている

 

人類が残された時間を

指折りかぞえはじめて

宇宙は薄くなりゆくが

そしらぬ顔で 堂々と

つぎの春のために

ほころんだ花を迷いなく落とす

 

 

(初出 2017.3.31 読売新聞)

 

 

2016.12.07 Wednesday

「自罪」

 

雲ひとつないから

責められている気がして

だれも呼びとめられない

鮮やかなブイ

満ちていた星空が

いつしか朝焼けて

上新田港まで歩いた

 

罰はないけれど

罪ばかりだから

朽ちた水色のはしごが

用途もわからないまま

港までの道に置かれて

妙に 納得してしまう

 

十一月、まだ

つめたいものしか売っていない

自動販売機

海猫が鳴く

呼びとめられない

ひどく無垢に咲いて

網が丁寧に待機して

 

ミモザの名前を

すぐに言えなかった日

あなたにばかにされた

当然だとおもう

 

 

 

(2016.12.07)

 

2016.01.18 Monday

こぼれおちたものもの2「からだが記憶する雪」


こぼれおちたものもの
「からだが記憶する雪」

 



 雪はほんとうにしんしんと降る。もちろん、しんしんという音は実際には聞こえないけれど、しんしんという文字がいかにも適している。雪はほんとうにしんしんと降る。しんしんと降る雪はべたっとしていなくて、静かに視界に舞う。雪解けには水となって足元を濡らすものの、しんしんと降る雪にひとびとは傘もささない。
 詩の朗読や講演会で国内をあちこち移動しているわたしの地図に日本ではない国が加わったのは、この四年ほど。詩人の先生に旅をすすめられて随筆の連載のためにハワイに二週間滞在し苦手な英語にも挑戦していたらすっかり楽しくなって、ますます移動することが日常になった。日本語しか喋れないと、おそるおそるガイドブックを手にバスを待っていた臆病者が今やパリにてフランス人の作家さんのお宅に、いわゆる「壊れた英語」で十日間ものうのうと滞在できるようになった。われながら図々しさにあきれる。
 世界地図はただの一枚の紙じゃなくって現実として存在することへの驚きといったら、ない。地球の裏側でひとびとは生活していて、まだ知らない風景は存在する。
 昨年は生まれ育った鹿児島よりも住んでいる埼玉のほうが気温の高いような夏だった。この冬はどうなのだろうか。幼い頃、かすかに雪が降ることがとてもうれしかった。小学校の授業中に雪がぽつぽつ降りはじめ、教室のなかは歓声であふれかえって先生は授業を中断して、クラスの皆で校庭へ飛びだして雪合戦をした記憶がある。いっせいに雪をかきあつめて丸く丸く、お団子のように丸めて、雪というより泥の球のようだったが、それでもかすかに雪が降ることがうれしかった。授業を中断してくれた小学校の先生の粋なはからいもうれしかった。
 おととしの三月末にスロベニアを訪れた。旧ユーゴスラビアである。小さな飛行機が軋みながら雪の舞う夜の空港に着陸した。スロベニアも最近は異常気象で三月末に雪が降り続けることはめずらしいと、ほとんど毎日通ったパン屋のおばちゃんに教えてもらった。わたしは生まれてはじめて、しんしんという音を聞いたような気がした。しんしんと降り続ける雪に閉じ込められて、まるで図書室で読みふけった童話の世界。まいったなあ、という気持ち。大人になっても知らないことはまだまだたくさんある。雪のなかの静けさと美しさ。
 今月末、はじめて北海道を訪れることになった。ワークショップと朗読のための旅だが、はじめての北海道の旅がもっとも寒い時期だなんてどうかしている。温暖な土地で育ち、北の冬は未知なのに、どうかしていると思いながら今から楽しみで、ゆきまつりも見たくて仕事が終わっても個人的に滞在することを決めた。おそらく、わたしは再び、まいったなあと感じるのだろう。知らないことが多すぎて途方に暮れそうになりながら地図をひろげて、できる限り出会いたいと願う。美しさ。
 
「空からの手紙」
頬を赤く染めた
こどもたちが
両手でうけとめる
すぐに消える結晶は
かたちあるものだろうか
かたちないものが宝物と
いつまでも覚えておいて
 
 今年、鹿児島でも雪は降るだろうか。頭ではなくからだが記憶する雪。しんしんではなく、ぽつぽつと降る雪をからだは記憶し続ける。泥の混じった雪合戦に歓声があふれかえる。


(初出:2015年1月1日『ろうけん鹿児島』)


 
2015.12.11 Friday

「羊蹄」


鬱蒼とした
緑色の雨が
まっている
 
つい数日前にはまだ
青々と濡れていたが
今朝には赤く染まる
 
距離を保った
すきなひとは
きれいな顔で
 
紅葉していく
頬を上気させ
もうじき冬だ
 
白樺がひそやかに整列し
はしなく皮がめくれても
声すらあげないのだろう
 
なにごともなく鎮座して
先端が刻をまとっている
ずっとここにいますから。
 
はげしい天気雨に
わたしが雫と成す
しきりに拭われて
 
なにごともなく鎮座して
まとっているものたちが
許しも許されもせず放たれていた



(初出 2015.11.27 読売新聞)

 
2015.08.31 Monday

「泥濘」


熱のかたちをして ひとが
感情を帯びている 日には
寸前ですっかり秋を迎える
 
けだるく、背伸びできない、
等身大のものたちが
そのうち名前だけ記し
蒸発していくんだろう。
 
深くからまった
根のあわい関係
 
うつむいて肩をよせあい
かろうじて留めている日
もう なにもない 砂地
 
とられた踵を責めて
正しい陽光にまきこまれていく。




 
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